防人歌にみる防人たちの心情
交通手段の発達していない当時のことですから、徒歩、船、そしてまた徒歩と進む防人派遣の道のりは厳しく、数ヶ月にもわたる長い旅となりました。
難波津からは朝廷の兵として食糧が配給されましたが、そこに至るまでの間の食糧は自己負担・・・。
ただでさえ貧しい農民にとってはつらい旅だったと想像されます。
さらに故郷を離れた旅路のことだから、精神状態が不安定になったり、病いで倒れる防人も多かったことでしょう。
そんなときに思い出されるのが故郷に残した家族のこと。
それは今も昔も変わりません。
我が妻も 画にかきとらむ 暇もか
旅行く吾は 見つつ偲む
この歌も万葉集巻20から、作者は物部古麻呂という防人です。
「遠く九州北辺の警固に向かう自分としては、旅先で自分の妻を描いた絵を見たいので、その絵を描く時間が欲しい」という気持ちを表現しながら、愛する妻を残してゆくことのつらさを詠み込んだものです。