百隈の道
軍防令にあるように防人として集められた兵士は、1ヶ月余りの訓練を地元で受けたのち、東国各地(伊豆、甲斐、相模、安房、上総、下総、常陸、武蔵、駿河、遠江、信濃、下野国)を出発します。
東海道あるいは東山道を、通過するそれぞれの国の国司があたった部領使に率いられて、西の難波津まで向かいました。
難波津からは朝廷の兵部省の役人に率いられて船で瀬戸内海を渡り、博多津まで輸送され、「遠の朝廷」といわれた当時の西海道の中心地、大宰府に到着しました。
難波津から大宰府へ向かう間の防人の心情を詠んだ歌として、次のようなものがあります。
百隈の 道は来にしを また更に
八十島過ぎて 別れか行かむ
万葉集巻20にある、助丁刑部直三野という防人が詠んだ歌です。
助丁とは各国の防入の軍団(平均200~300人)の中でも上級の兵士で、最高責任者国造丁の補佐役です。
「百隈の道」とは難波津までにたどってきた陸路のこと。
難波津までやっとのことで到着した作者は、「更に八十島過ぎて」と続け、再び船に乗ってたくさんの島の間を行き、さらに遠い筑紫の国に向かう自分の行く末を率直に予感しています。