防人派遣の道
闇の夜の 行く先知らず 行く吾を
いつ来まさむと 問ひし児らはも
万葉集巻20に収められている防人歌で、「闇の夜」とあるように、東国から九州へ向かう防人たちの旅は、昼夜の別なく続けられました。
「行く先知らず」と詠まれたように、派遣先への不安が素直に表現されているのも印象的です。
この歌のようにその派遣先までの旅の不安に満ちた気持ちは、防人たちに共通したものだったようです。
東国の人々にとって、筑紫(現在の福岡・佐賀・長崎県)の国は見たこともない遠い異郷の地であり、目的が軍務であることも、大きな不安材料だったに違いない。そして何よりも、西国への道のりは長くて険しかったのです。
玄界灘沿岸の警固を目的とする防人制度は、当時の基本法である「令義解」に「軍防令」として詳細が決められ、その赴任までの行程についても規程されていました。
それには、こう記されています。
辺境(国境)を守るものを防人と名づける。
防人が難波津(大阪)に至る間は、皆それぞれの国司が親身になって掌握し、世話をする。
難波の津を出発する日から、専使が掌握して大宰府に送りつけること。
また兵役の年齢は20歳から60歳までの正丁があたることになっていました。
正丁というのは、庸、調の課税を受ける男子で、ほとんどは農民です。